社会のゴミのブログ

今日も生きてる

息苦しさ

「いきぐるしい」で変換すると「息苦しい」が一番に出る(というかそれ以外出ない)けど「生苦しい」を出してほしい。

なんとなくの死にたさが常にある。

高校生のころまでは「だるいなー」とか「今日はさぼりたいなー」とかはあったけど,「死にたさ」というか「生きたく無さ」みたいのが出てきたのは大学からだと思う。

 中学時代にそれなりに勉強した時の遺産で高校大学と進学はできたが,そのときに努力をしなかったせいか,ただの馬鹿が生まれた。

なんで中学校の時にできた努力がその後できなくなったのかだけど,飽きたのとか周りの環境とかだと思う。

高校でもやりたい教科や内容はやってたし受験に関係ないことばっかやってた。というかそもそもなんかやれっていわれてそれやってただけで,本当はずっと本よんで音楽聞いて暮らしたい人間だったはず。

環境については,妹が私立の中高大へとあっさり進んだり,お勉強した内容と関係ない小論文で高大の試験通ったりしたのが悪かったのではないかと思う。要するに嫌々ながら努力したとこでなく,好きで読んでた本とかサボりでやってたツイッターとかで考えたこととかで試験受かっちゃうんだ,ってなったのが良くなかったと思う。

 生きたく無さの原因は,人生というか生きることの目標が無いからだと思う。

ゲームとかもストーリーが面白くなかったり,クリア条件が分かんなかったらつまんないし止めちゃうのと同じことだ。多分世の中の人たちは友達とか仕事とか恋人とかにそれを見出してるのかと思うけど,僕にとってそれらがそこまでのものではない。それは自分が一番可愛くて,他人はどうでもよいというスタンスで生きてきたからだろう。実にしょうもない人間に育ったとも思う。今後僕はどこに人生の目標をおけばいいのだろう。