社会のゴミのブログ

今日も生きてる

雑記

祖父が亡くなって,1週間が経とうとしている。

ガンだった。母方の祖父もガンだった。多分僕もガンで死ぬ。(それまで生きてたらの話だけれど。)

よく,葬式ってのは悲しさを忘れるために忙しくするためのもの,なんていうけど本当に忙しかった。なにしろ勤め始めて3日で葬儀に出ることになったのだから。正直な話,本当に悲しさを感じる暇は無かった。それに,その前の週に会って話もしていた人間が死んでしまうなんて信じられなかった。月並みだが,もっと話をしていれば良かったと思った。でもこれは僕の自己満足になるんだなあと,そんなことを今日までつらつらと考えていた。

僕は長生きする気はないし,死んだとして葬式とかやってもらわなくていいと思っているが,それは可能なんだろうか。今日保険屋と話をしてそんなことも考えた。あと,自分が障害をもつことになったらみたいな話になったから,「そのときは自死します。」と言いそうになったけどそれは止めといた。空気が悪くなりそうだったので。

ただ,他人の死に関しては少しおセンチになる感情が今回の件で生まれた。会える人には会っておきたいし,話せるうちに話しておこうとも。

今まで本で読んでしかなかった「死にまつわるいくつかの感情」みたいな話が実体験を伴うことで理解できるようになってきた。これは大きな進歩だと思う。実学とはこういうものだ。学ぶとはこういうことだ。若くなくても分からないことはあるし,お勉強ができても知らないことはある。

今は取りあえず祖父がくれた就職祝いで買ったハミルトンの時計と,生前乗っていた車をできるだけ長く使うことが,もう叶わない彼との残された唯一の接点になるのだと思う。祖父の時は止まってしまったが,僕の時は進み続けるのだから。